윤동주 평전 송우혜
윤동주 평전 송우혜 ユンドンジュ評伝 ソンウネ著 韓国の有名な詩人 ユンドンジュのお話しです。 本は5年ほど前に買って、あまりの文字の多さと難しさで読まずに封印していましたが、 最近もったいないオバケが出てくるので、意を決して読みました。 私にはもともと詩を味わうという趣味や能力はないのですけど、 ドンジュの序詩(↓)は、私が初めて韓国語で読んだ小説の中にも引用されていて、 なんか繊細な詩だなぁと気になっておりました。 『死ぬ日まで天を仰ぎ 一点の恥ずべきものがないことを 葉に吹き寄せる風にも わたしは苦しかった 星を歌うこころで すべての死にゆくものを愛していこう そしてわたしに与えられた道を 歩んでいこう 今宵も星を風が掠めていく』(わたくし訳なのでご了承を。^^;) こんな美しい詩を書かれながら、福岡の刑務所で獄死されたと知り、 さらにドンジュがクリスチャンだったと知り、 獄中でどんなことを考えていたのか、どんな人生だったのか、など ちょっと触れてみたく思ったのでした。 さて本題。 お話はユンドンジュが生まれる前、ドンジュのひいおじいさんの頃までさかのぼって記録されています。 さらに、歴史家でもあります作家さんが、調査、研究され、時代背景なども非常にくわしく書かれています。作家さんはドンジュのいとこの姪っ子にあたる方のようです。 ドンジュの生い立ちもしっかりと正確に記録されています。 この本はドンジュの生涯の記録であり、歴史書のような感じもします。 ドンジュがこんな言葉を残した、というより、時代背景や実際の行動などから、 ドンジュの性格や、詩を書いた時の心情などを感じ取れるのではないでしょうか。 ドンジュは1917年、第一次世界大戦の中、生まれ、1945年、第二次世界大戦末期に亡くなりました。 生まれた時からクリスチャンの家庭で育ち、キリスト教の学校にも通います。 ドンジュの生涯には切り離せない、同い年のいとこ、ソンモンギュとは小学校から同級生です。 ドンジュが、「少年」という雑誌に連載されていたキムネソンの「白仮面」を楽しんだ、という記述は、いっ時うれしく感じましたが、日帝時代にあって、神社参拝の強要などで、通っていたキリスト系中学校が廃校になり転校せざるを得なくなったり、ハングルで出版物を出すことが難しかったり、抑制されたつらい時代を過ごしました。解放を目前にしながら亡くなったむなしさと無念さを思うと、70年以上過ぎた今でも残念でなりません。 日本には1942年に、東京の立教大学に留学しました。 その前、1940年には、創氏改名制度が実施され、日本式の姓名に強制的に変更を強いられる時代がありました。 改名をしないと渡航証明を出してもらえない時代で、ドンジュも改名をして留学しています。 1942年の秋には、ドンジュは京都の同志社大学に転入学しています。 同じ時期、同い年のいとこのソンモンギュが、京都大学に留学していました。 そして1943年7月、そのモンギュとドンジュが(他1名)、治安維持法で逮捕され、懲役2年の判決を受け、福岡刑務所に送られます。 独立運動を煽るようなことを企てたというような罪でした。 そして、1945年2月、ドンジュは獄死します。3月にはモンギュも獄死しています。 ドンジュの死因は「肺結核」という証言もありますが、人体実験による「注射を打たれていた」というものもありました。 死後、いろいろな方たちの尽力により、ドンジュの詩が世に出るようになりました。 最後に、ある秋の日、獄中にも一匹のコオロギの鳴き声が聞こえたらしく、 ドンジュが弟に宛てた手紙の一節を紹介して終わりたいと思います。 「あのコオロギはひとりでいる私の監房にも泣いてくれる。ありがたいことだ。」
ユンドンジュ評伝 ソンウネ著
韓国の有名な詩人 ユンドンジュのお話しです。
本は5年ほど前に買って、あまりの文字の多さと難しさで読まずに封印していましたが、
最近もったいないオバケが出てくるので、意を決して読みました。
私にはもともと詩を味わうという趣味や能力はないのですけど、
ドンジュの序詩(↓)は、私が初めて韓国語で読んだ小説の中にも引用されていて、
なんか繊細な詩だなぁと気になっておりました。
『死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥ずべきものがないことを
葉に吹き寄せる風にも
わたしは苦しかった
星を歌うこころで
すべての死にゆくものを愛していこう
そしてわたしに与えられた道を
歩んでいこう
今宵も星を風が掠めていく』(わたくし訳なのでご了承を。^^;)
こんな美しい詩を書かれながら、福岡の刑務所で獄死されたと知り、
さらにドンジュがクリスチャンだったと知り、
獄中でどんなことを考えていたのか、どんな人生だったのか、など
ちょっと触れてみたく思ったのでした。
さて本題。
お話はユンドンジュが生まれる前、ドンジュのひいおじいさんの頃までさかのぼって記録されています。
さらに、歴史家でもあります作家さんが、調査、研究され、時代背景なども非常にくわしく書かれています。作家さんはドンジュのいとこの姪っ子にあたる方のようです。
ドンジュの生い立ちもしっかりと正確に記録されています。
この本はドンジュの生涯の記録であり、歴史書のような感じもします。
ドンジュがこんな言葉を残した、というより、時代背景や実際の行動などから、
ドンジュの性格や、詩を書いた時の心情などを感じ取れるのではないでしょうか。
ドンジュは1917年、第一次世界大戦の中、生まれ、1945年、第二次世界大戦末期に亡くなりました。
生まれた時からクリスチャンの家庭で育ち、キリスト教の学校にも通います。
ドンジュの生涯には切り離せない、同い年のいとこ、ソンモンギュとは小学校から同級生です。
ドンジュが、「少年」という雑誌に連載されていたキムネソンの「白仮面」を楽しんだ、という記述は、いっ時うれしく感じましたが、日帝時代にあって、神社参拝の強要などで、通っていたキリスト系中学校が廃校になり転校せざるを得なくなったり、ハングルで出版物を出すことが難しかったり、抑制されたつらい時代を過ごしました。解放を目前にしながら亡くなったむなしさと無念さを思うと、70年以上過ぎた今でも残念でなりません。
日本には1942年に、東京の立教大学に留学しました。
その前、1940年には、創氏改名制度が実施され、日本式の姓名に強制的に変更を強いられる時代がありました。
改名をしないと渡航証明を出してもらえない時代で、ドンジュも改名をして留学しています。
1942年の秋には、ドンジュは京都の同志社大学に転入学しています。
同じ時期、同い年のいとこのソンモンギュが、京都大学に留学していました。
そして1943年7月、そのモンギュとドンジュが(他1名)、治安維持法で逮捕され、懲役2年の判決を受け、福岡刑務所に送られます。
独立運動を煽るようなことを企てたというような罪でした。
そして、1945年2月、ドンジュは獄死します。3月にはモンギュも獄死しています。
ドンジュの死因は「肺結核」という証言もありますが、人体実験による「注射を打たれていた」というものもありました。
死後、いろいろな方たちの尽力により、ドンジュの詩が世に出るようになりました。
最後に、ある秋の日、獄中にも一匹のコオロギの鳴き声が聞こえたらしく、
ドンジュが弟に宛てた手紙の一節を紹介して終わりたいと思います。
「あのコオロギはひとりでいる私の監房にも泣いてくれる。ありがたいことだ。」
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